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博士学生と研修医

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私の彼女は医師だ。駆け出しの初期研修医だ。
何も彼女自慢をしたいわけでも、研修医問題について語りたいわけでもない。

研修医という職業にどんなイメージを持っているだろうか。
ブラックジャックによろしく」のような過酷で責任のある仕事のイメージだろうか。確かに過去にはそのような凄惨たる状況があった。しかし、2004年からスタートした現行の初期研修制度では、以前ほどの過酷さはない。
それどころか、病院マッチングシステムのおかげで勤務地等に文句をつけなければ新卒医師のほぼ全てが研修医の地位を得ることができ、一人の社会人として妥当な収入を得ることもできる。
当然、当直勤務なども含まれてはいるが、生命の危機があるような勤務体系ではない。

ストレートで医学部に入学し、現役で医師国家試験に合格すると、初期研修医になるのは25歳の年度である。
ちょうど、ストレートで大学・大学院と進学し博士課程に入学する学生と同じ年齢である。

両者の地位は極めて類似形である。
「駆け出し」の身分としていわゆる修行期間にあること、一定の学識(医師資格/修士号)が担保されていること、同年齢であること、社会的に将来性を期待される地位にあることなどである。
将来性や学識には多少の差異があるだろうし、個人間の格差も小さいものではないだろうが、集団としては極めて近い存在なのだ。

ところがその待遇をみてみるとどうだろう。
博士課程の学生のほとんどは毎年の授業料*1を払いつつ、無給に近い形で生活をしている。研修医は上述のように一定の賃金を得て職業としての医者をしている。
博士課程の学生にはなにも保証はない。法的に労働ではないから日に何時間研究をしても構わないし、過労死という概念すらない。もちろん、研修医は労働法で保護されているし、時間外労働手当もでる。当直勤務をすれば当直手当がでる。

責任についてはどうだろう。
研修医は当然、医師として患者の健康・生命に対する責任を持っているが、その大部分は指導医たる上司が負うものであるし、病院や医局という組織が個人をある程度は保護してくれる。医療はチームで行うものであるから、ヒューマンエラーも回避しやすいし、ミスの起こりにくい構造を作ろうとする。
博士学生はそうではない。研究はおよそ個人プレーで進められるし、責任は自らの学位とそれに費やした時間で負わなければならない。研究の指導という意味で教員が上司にはなるが、彼らには学生の人生を背負うだけの責任も責任感もない。

最近になって、研修医という存在が身近になった分だけ、博士学生との格差が目に付く。
私はなにも研修医の給与を下げろとか、当直を増やせとか言いたいわけではない。
同じように多額の教育コストを掛けて育成した博士学生をもう少しでも厚遇してくれはしないかと主張したい。

箱物や公共工事への無駄な税金投入が叩かれるのと同様に、教育コストがかかった人材を使い潰してしまう現状の大学制度もおかしな一面を持っている。博士号を保有した高度人材を育成するのであれば、その過程にも十分な投資が必要となるはずだ。

*1:しかも私学であれば高額である

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