インターンシップ、就職活動のES(1)
就職活動最前線
私の所属している大学院では、現在、M2の学生の就職活動が活発に行われている。
彼ら(16卒)の就職活動はもはや佳境にさしかかり、経団連の取り決めにも関わらず、ちらちらと内々定獲得の声が聞こえてくる。
この時期に残念ながら内々定第一波を逃した人達は新たなES提出を始めている。
一方、その一つ下の学年であるM1(17卒)は夏期インターンシップのエントリーが始まり、彼らにとって初めてのES作成・提出の期限が差し迫っている。
私自身は博士課程に在籍しており、M2の時分には就職活動は行わなかった。
しかし、学振研究員採用への申請書作成や、各種学会参加に伴うさまざまな書類作成、はたまた論文の執筆など、実際に就職していった同期学生達と変わらない程度の作文は行ってきたつもりである。
同期のESはほとんど見ることがなかったが、最近になって後輩達のESを見る機会が増えてきたので、文章の作成について感じた事を記しておこうと思う。
結論から先に言ってしまうと、私が人事担当者だった場合、彼らの書いてきたESは軽く見た後に捨てるだろう。
まず間違いなく選考を進めようとは思わない。
作文を始める前に
さて、エントリーページからESをダウンロードしてそれぞれの設問を眺めた後、どのような行動を取るだろうか?
いきなりキーボードを叩き出したり、ペンをもって印刷したESに向き合っている場合、そのESは読まずに捨てられる可能性が高いだろう。
そこに書かれるのは、作成者が思いついた事を思いついた順番に書いただけのメモであり、とてもじゃないが他人が読めたものではない。いきなり書き出して文章がまともに書けるのは、それなりに作文に慣れた人が、事前に頭の中で構成が立ててあり、書く内容について十分に理解している場合だけである。
おそらく初めて他人に読ませる(読んでもらう)ための文章を書く就活生はこの条件に当てはまることはない。
読み手に選択権があり読んでもらう必要がある文章と、読み手に選択権はなく読まなければいけない文書とでは、気をつけるべき体裁に雲泥の差があることをまずは自覚しよう。
ESや申請書は前者であり、学生が普段作成しているレポートや宿題に付記する文章は後者である。
人事担当者には読みにくい・読めないと判断した文章を読む義務はない。
論理的に正しい作文
では、読まずに捨てられるESと、キチンと読んでもらえるESの違いは何だろうか?
それは、文章が論理的に正しく記述されているか否かの差である。
多くの人が勘違いしがちだが、「論理的文書」とは固っ苦しい評論文の事ではない。
文体の硬軟に関わらず、文章の論理性というものは存在する。
論理的に正しく書かれた文章というのは非常に読みやすい。なぜなら、文頭から読めば、別段深く考え込まなくとも著者の主張が理解できるからである。
逆接的に言うなれば、文章を読んで著者の主張を理解するために返し読んだり、類推が必要になる場合、文章は論理的に記述されていない。
大学教育において、論理学や修辞法の教授が損なわれて久しいが、これらの習得なしにまともな文章を作成することは極めて困難である。
文章作成について説かれた本や、いわゆる熟達した社会人の一部は、「文章は書けば書くほどうまくなる」と主張している。確かにその側面があることは間違いない。ただ、完全に正しいとは言えない。
読みやすい文章=論理的に正しい文章を書くのに必要なのは正しい論理であり、経験や技術でない。
経験や技術は、内容を高尚にしたり、適切な語を用いたり、主張に正当性を持たせたりするのみである。
さてさて、軽い気持ちで書き出したが、思ったよりも長くなってしまったのでここらでやめることにする。
実際に論理的に正しい作文のやり方や、個別のESの書き方についての記事を後日upしていくつもりなので、興味を持ったなら読んでもらいたい。