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悪法は法たり得るか

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ソクラテスは「悪法も法なり」と言って毒杯をあおったと言われています。
今日でも、合理的でない習慣・ルールには従うべきなのうでしょうか。

 研究室で生活をしていると、いたるところでルールが設けられていることがあります。例えば、「溶媒は金曜日の午後一番に補充しておく」だとか、「使用済みのパスツールピペットの洗浄(または廃棄)手順は〜」など細かなものから「NMRの管理者はxx。特殊測定の際はxxの立ち会いの下行う」など大きなものまで様々です。

所属が変わるたびにこのローカルルールは変わりますし、運用している学生の気質によっても解釈が異なったりします。いちいち全部を確認するのは不可能だし、厳格に決めきってしまうのも窮屈かと思います

では、その場その場の判断で決められているルールは改変してしまってもいいのでしょうか。



ルールは誰の為に


 結論から言わせてもらうと、私は「悪法も法なり」はほぼ正しいと思っています。従って、現場判断で既にあるルールを棄却することは避けるべきだと考えます。そもそも、人が集まり組織が構成された時に新たに作られるルールは、「組織運用ひいては組織構成員の為」のものであるはずです。少なくとも運用開始の段階では、構成員の同意の下で決められたものであるはずです。しかし一方で、構成員の入れ替わりや組織を取り巻く情勢の変化によって、ルールが現状にそぐわなくなることが少なくありません。この段階で、正当だったルールは「悪法」へと転化します。「構成員の為になった」はずのルールが「構成員の足を引っ張る」ものになるのです。

 問題は、この「悪法」となった法に従う必要があるのかという点です。通常の感覚で話をするなら、現状にそぐわなくなった時点で棄却してしまえばいいと思います。実際に組織の規模が数人で、全員が全員の状態を把握できるならそれでも構わないと思います。家族とかがそれでうまくいく代表的な組織ですね。
 しかし、組織規模が大きくなればなるほど、そうはいきません。なぜならば、現場レベルの判断でルールが変更できてしまうと、他の「良法」も同時に効力を失うからです。「悪法」の存在は「良法」を駆逐しませんが、「悪法の無視」は「良法」すらも駆逐してしまいます。だから、たとえ「悪法」であっても従う必要がでてきます。


「悪法」に縛られる


 全員がソクラテスのように毒杯をあおるまで悪法に従わなければならないのでしょうか。これは断じて否です。
法とは、それに従う全員が平等かつ公平に活動をし、快適に生きるためにあるものです。法が構成員の活動を阻害することはあってはなりません。法として不適格になった「悪法」はただちに改正されるべきです。ただし、改正は正規の手順・手続きに則って行われる必要があります。研究室に話をもどすなら、不合理なルールがあると感じたなら、最年長の先輩かスタッフにそのルールの根拠を聞き、改正案あるいは廃止理由を提示し、研究室メンバーの同意のもとで新たなルールとするべきです。この手続きを踏まずに既存のルールを無視することは只のワガママで、社会で言うところの犯罪です。


 改正あるいは廃止の決定がなされていない段階では、「悪法もまた法なり」ですので、従う必要がありますが、抜け道が一つだけあります。それは、「悪法」を含む全ての法を放棄することです。ある法の保護下にない者は、そこに含まれる「悪法」にも従う必要はありません。日本国における少年法から脱却したいなら、日本以外の国籍を持ち、他国で暮らせばいいのです。現実的に、この手段を執ることはとても難しいですが、研究室にどうしても納得ない致命的なルールがある場合は、研究室や大学の移籍といった手段で避けることができます。


ソクラテスの真意


 さてさて、何度も繰り返している「悪法も法なり」ですが、ソクラテス自身はそんな風には言っていません。そもそもソクラテスの言葉として残っていません。このエピソードはソクラテスの弟子であるプラトンが著書「パイドン」の中で以下のように著しています。(
PHAEDO by Plato Part 3
から引用)

And it was already near sunset; for he spent a long time inside. And coming he sat down having bathed, and after that not much was discussed, and the servant of the eleven came and stood by him; "Socrates," he said, "I shall not condemn you as I condemn others, who are angry with me and curse, when I give them the word to drink the drug compelled by the rulers. And I have known you to be otherwise in this time the noblest and gentlest and best man who ever arrived here, and even now I know well that you are not angry with me, but with those, for you know the ones responsible. Now, for you know what I came to announce, goodby and try to bear the constraints as easy as possible."
And at once bursting into tears turning he went away.
And Socrates looking up at him said,
"And goodby to you, and we shall do these things."
And at once to us he said,
"What a charming person! and during all the time he has come to me and conversed sometimes and was the most agreeable of men, and now how nobly he weeps for me. But come now, Crito, let us obey him, and let someone bring the drug, if it has been ground; and if not, let a person grind it."

And Crito said,
"But I think, Socrates, the sun is still on the mountains and has not yet set. And at the same time I know also others drank it quite late, when the word should be given to them, they have dined and drank quite well, and kept company with some whom they happened to desire. But do not hurry at all; for it is still permitted."

And Socrates said,
"Naturally, Crito, those do these things, which you say, for they think they gain by doing them, and I naturally shall not do these things; for I think I would not gain anything by drinking it a little later other than to bring on ridicule for myself, clinging to life and sparing it when there is nothing still in it. But come,"
he said,
"obey and do not do otherwise."


拙訳を載せておくと、

もう日暮れという時まで、彼(ソクラテス)はずっと牢に繋がれていた。
彼が入浴してからはもうほとんど何も話さなかった。
11人の奴隷(看守)が彼のそばまでやってきて
ソクラテス、私が刑を宣告して怒り罵った他の囚人の時のようには、私は貴方に宣告をできないだろう。貴方が今までに此処(牢)にきた誰よりも高貴で気品のある最高の男だと知っているし、現に今も貴方は怒ってもいない。それにも関わらず、貴方はこれ(服毒)が責務だと知っている。それに、貴方は私が刑の執行を告げにきたのもわかっている」
奴隷はそう言って泣き出すと、去っていった。

ソクラテスはそれを見上げながら「さよならだ。私はこれ(服毒自殺)をやりとげるよ」と言い、私達に、
「彼はなんて魅力的な人物なんだ。彼が私のところへ来るたび、何度か話をしたけれど、ほんとうに感じのいい奴だった。それに今だって私のためにあんなに泣いてくれた。しかし事ここに至っては仕方が無い。クリトン(ソクラテスの幼馴染み)、彼の言うとおりにしてくれないか。毒をもってきてくれ。もし毒が床にぶちまけられていたり、そこに無かったりしたなら人を呼んで持ってきて貰ってくれ」
と言った。

クリストは言う。
「しかしソクラテスよ、太陽はまだ山にかかっていて沈んでいない。他の虜囚だって執行を告げられた後に食事をしてその後に服毒していたさ。それに付き添いも事が起こるのを見守っていたさ。なに、焦る必要はない」

対してソクラテス
「クリスト、たしかに彼らは君の言うとおりのことをしていたとも。彼らはそうすること(食事)で得るものがあったのだ。けれども私はすぐに毒を飲む。少しばかり服毒が遅れることからは何も得られないと思うからだ。むしろ、服毒が遅れることが何も齎さなかった時に、私は自分を嘲るだろうし、生に縋り付いて、死を恐れてしまうだろう。だからこそ、(服毒命令に)従うのだ。他はない」

最後の "obey and do not do otherwise."を「悪法もまた法なり」とする人がいるようです。まぁ、完全に間違ってるってわけでもないですが、意訳すぎる気もしますね。
前後のソクラテスの言動を見るに、彼は悪法と言えど法だから従う、としたのではなく、自身の愛するギリシャの法を守るために服毒したと読めます。つまり、思考停止ではなく、考え抜いた末の結論ということです。ギリシャへの愛もなく、法もどうでもいいと思っていたのなら、きっとソクラテスアテネから逃げ出していたでしょう。


結論


悪法も法です。従わなければなりません。しかしそれは条件付きで、同法の保護下にあり、それを遵守することに意味がある場合に限ります。
勝手に判断してルールをねじ曲げるのであれば、その組織から追い出されることも覚悟しましょう。ルールが不合理だと思う場合は、きちんと周囲に同意を得てルールを変えるのが正しい対処です。

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